2026.03.12 Thursday
カメラを持った人間として

福島第一原発の撮影に2度ほど行くことができました。
まず、福島医大の緊急救命の田勢先生に同行取材をさせていただきました。
私のようなフリーカメラマンをこの現場にカメラを持って入れるということはとても大変なことだと思います。
先生も私1名を入れるために何度か申請のやり取りをしたという苦労話を後に聞きました。
カメラは1台と決められ、もちろんすべての画像は最後に確認ということで
先生と福島の医療団の方と5名で視察に同行しました。
緊張というか、カメラマンとしてとにかくカメラを持ったら写す。
どこまで写すか、バス移動の中でカメラを向ける度に「そこは駄目です。」
「そこは撮らないでください。」と注意を受けながらの視察撮影でした。
2015年、その時は原発で働く方たちが初めて食堂ができて温かい昼ご飯を食べれると喜んでいました。
私もご馳走になりました。地元のものを使い、温かい味噌汁とご飯。
本当にそれまでは冷たいお弁当で何年も皆さんが働いていたと思うと頭が下がります。
2020年に再度お願いして撮影させていただきました。
その時は初めて場内を自分の足で歩くことができ、この黄色いラインに沿って撮影ができました。
原発のことは詳しくはわかりません。
私はフリーカメラマンで個人的な撮影なので危険なところは入れないということで
またの機会をということで帰ってまいりました。
とにかくまだ15年経ってもまだ震災は終わっていません。
地震、津波、原発とまだまだ復興はできていません。
多分、福島第一は私が生きている間に安全を取り戻すことはできないと思います。
しかし日々その中で働いている人たちがいると思うと忘れないでという言葉だけでは現せません。
少しでも、カメラを持った以上写真に残すとうことが私にあてがえられた職務だと思っています。
まだまだ浮かれていることはできません。
これからも写真で伝えなければならないことを必死に撮って残していきたいと思います。
またいつか皆さんにお見せできる機会があれば。
それと同時に、福島を故郷に持つ西田敏行さんの写真を郡山市で飾っていただき残すことができそうです。
西田さんは福島のために一生懸命ご尽力していました。
郡山市に私の写真で西田さんを残せることもカメラを持った私の生き方だと思います。
昨日今日と静かに暮らしていました。
足を痛めたからではありません。
午後からは撮影に戻ります。
カメラを持った人間の責任を果たすべくこれからも頑張ります。









