昨日、悲報を聞き、まさか。
今でも信じられませんが、
先ほど大山文彦さんのアシスタントの
野下義光さんから正式に大山文彦さんが
他界されたと連絡がきました。
詳しいことはまだはっきり分かりませんが、
本当のようでした。
この業界に入って、
私と大山さんは同じ道をずっと歩んできた同士
後輩だと思っています。
出会いは、渡辺プロダクションの友の会。
当時は、ヤングという会報誌も出していたくらいに
ファンクラブとしてはとても大きな組織でした。
私は当時宣伝部の契約カメラマン。
大山さんは友の会のカメラマンをなさっていました。
お互いに何度か顔を合わせ、海外ロケも一緒に行った仲間です。
渡辺プロダクションの契約が切れてから、
私は100%フリーのカメラマンになり、
大山さんもその後を追うように
フリーのカメラマンになったと思います。
その後、すごい年月が経ちました。
多分お互いに雑誌や写真集などで名前を見ることくらいしか
会う機会はありませんでしたが、
この10年度々会うことができました。
それは、SNSのおかげで連絡を取り合い、
写真展や私の事務所や私の仕事の手伝いなどをしてくれたり、
私のスタジオに大きなバック紙を貸してくれたりと、
とてもいい付き合いをさせていただきました。
私的には、友と思っています。
友とは、想い出のある人を、私は友と思います。
数少ない、友です。
いつか、私の悩みや思うことを
沢山聞いてもらおうと思っていました。
大山さんなら、私の気持ちを分かってくれるのかな、と思い、
いつもメールでは、
また会おうね、飯でも という簡単なやりとりで
連絡を撮ったりしていました。
いつでも会えるから、と思っていました。
今年も私の写真展の最終日に来ていただき、
フェイスブックに記事まであげてくれていました。
会えなかったのが残念です。
ずっと会いたいなと思っていましたが、ついつい忙しさにかまけて会うことができませんでした。
昨夜から大山さんの事を思っていました。
サイパンで私が当時平凡パンチの編集の方と
つまらない食事のことで喧嘩をしたり、
パスポートを盗まれてジャングルの中に探しに入った私を
山岸さんはすごい!と。
本当は大山さんは競輪の選手だったと思います。
太ももが太く、きっと喧嘩なんかしたら
強かっただろうなと思いながら
大山さんの前で結構乱暴なことを言っていました。
彼のあのはにかんだ笑顔、
そして、渡辺プロダクションの友の会にいただけあって、
タレントさんや、人に気をつかうこと、沢山学んだと思います。
服装もいつもちゃんとして、
私にとっては後輩ながら偉いなと思っていました。
本当に数少ない同じ業界で
生き方が同じ大山さんが他界したことが悔しくてなりません。
後悔しているのは、もっと会いたかった。
もっと話したかった。
昔の話や将来のことも。
今日は大山さんの事を思い、自宅で喪に服します。
悲しいです。
まだ冗談であればいいと思っております。
もし本当だったら、安らかにお休みください。
山岸伸
追伸:
この写真は、銀座ソニーイメージングギャラリーで
写真展をやった時の1枚です。
この時に発覚したことは、大山さん、
プロサービスの会員ナンバー1番でした。
きっと大山さんの心の中には、
1番の会員ナンバーが誇りだったのでしょうね。
あれだけのソニーのカメラを所有している写真家は、
大山さんが一番かと思います。
これは、私が勝手に思っていることです。
こちらは、私のスタジオで。
こちらは、世界の光の中での収録スタジオにて。