あれから9年になろうとしております。
あの日のことを思い出すのが難しいです。
はっきり覚えていることは、
事務所が大きく揺れて、皆を事務所の中に入れてすぐ肉の万世に行き、
サンドイッチと水をスタッフ全員に持たせ、
事務所の車はアシスタントにキーを預け、自由に使うことを許可し、
皆に自己判断で帰るようにと指示をして、
私は自宅に車で帰りました。
日本橋を通過するときに、なぜか女性3人の方に手をあげられ、
停車したら、木場まで送っていただけませんか とお願いされ、
車に乗せて木場駅まで3人の女性を送った気がします。
もちろん、名前も何も分かりません。
彼女達は必至で保育園に電話をしていたような気がします。
その夜は、静かに自宅マンションから東京を見ていたような気がします。
今回のコロナウイルスも、震災も、原発も、
私の無力さを痛感させられました。
何年前になるか。
福島の緊急医療の先生達と福島第一原発に視察に行ってまいりました。
とても厳しい制限の中で撮れる写真はほとんどありませんでしたが、
しっかり私のカメラに収めることができました。
入るにあたっての条件は諸々あり、
自由に撮影をすることはできませんでしたが、
ここに出せていませんが、建屋の中で所長さんと撮った記念写真。
昨日テレビで所長さんが出ていました。
ちょっと老けたかなと思いますが、元気な顔で良かったです。
いつか、もう一度しっかりと撮影をさせていただきたいと思っています。
1日も早く復興が進みますことをお祈りいたします。
常磐線 富岡駅の駅長さんを瞬間の顔で撮影をしてまいりました。
JRの偉い方が富岡の駅を使う皆さんに暖かいものを食べていただこうと、
駅構内に食堂を作って、私もカレーをご馳走になりました。
今日は、考えさせられる日です。
こんなに晴れているのに心が寂しいのは、辛いです。
さあ、昼ご飯でも食べて元気を出そう。